目次
王とは、導く者ではない。“背を見せられる者”であるべきだと、わたしは思う。
10年──それは、短くもあり、長くもある時間だ。
新卒の初々しさはとうに抜け、後輩も育ち、自分なりのやり方も見つけてきた。
だがその頃、ふと訪れる空白がある。
「これ以上、何を学べばいいのだろう?」
「このまま、なんとなく年を重ねていくだけなのか?」
──そんな問いが、心の奥で燻りはじめる。
それは衰えではない。むしろ、“問い直す力”が目覚めた証なのだと、わたしは思う。
10年目の壁──「何者でもない自分」との再会
社会人になって10年、ある種の「中堅感」はまとってくる。
だが、それは同時に「何者にもなれていない自分」との再会でもある。
若い頃に抱いていた理想や情熱は、少しずつ現実との距離を測られ、形を変えていった。
現場に慣れ、ミスも減り、こなすことは上手くなった。
だが──その「慣れ」の裏で、何かが止まっていないか?
そう、自分自身の“問い”がだ。
10年目は、人生の第2章を選び直す扉である。
だからこそ、そこで立ち止まり、見つめる時間が必要なのだ。
「経験」だけでは通用しなくなる理由
かつては、「経験」が力だった。
「場数を踏めば成長できる」「積み重ねが信頼になる」と、多くの先輩が教えてくれた。
だが、今は違う。
変化の激しい時代において、「過去の経験」ほど足を引っ張るものもない。
問題は、経験そのものではない。
「経験に依存しすぎる思考」こそが、通用しなくなるのだ。
時代が変わる。職場が変わる。価値観が変わる。
そうした中で必要なのは、「柔軟な視座」と「問いを持ち続ける力」。
社会人10年目に必要なのは──
**“学び方の更新”と、“誇りの再設計”**だと、わたしは思う。
「学び直し」はスキルより“視座”の更新
少し前まで、「リスキリング」や「スキルの棚卸し」といった言葉が、世間を賑わせていた。
確かに、学び直しは必要だ。けれど、それは技術や知識だけの話ではない。
社会人10年目に必要なのは、
「何を学ぶか」ではなく、
「どう世界を捉えるか」──視座の更新だと、わたしは思う。
たとえば、同じプロジェクトにおいても。
新人の頃は「タスク」をこなし、中堅期には「業務フロー」を見直し、
やがては「その仕事の意味」や「他者への影響」まで視野に入れられるようになる。
視座が上がれば、仕事は変わる。
そして──人生もまた、静かに変わっていく。
「責任」と「変化」は両立できるか?
中堅期になると、多くの人が「責任」を背負いはじめる。
部下を育てる立場になり、家庭を持ち、組織の中で“中間点”として板挟みにもなる。
そんな中で、変化は怖くなる。
「今さら転職?」「この立場で方向転換なんて無理だ」
──そうやって、内なる声にブレーキをかけてしまう。
だが、わたしは思う。
変化とは、無責任な逃避ではない。
むしろ、“より誠実に歩もうとする意志”の現れだ。
責任と変化は、両立できる。
むしろその両立こそが、静かなる成熟ではないか。
焦りではなく、問いを起点に立て直す
「このままでいいのだろうか?」
──そんな不安は、誰にでも訪れる。
だが、そこから焦って“何か新しいこと”を始めるのではなく、
問いを立てることから始めてほしい。
問いには、行き先がある。
「何をしたいか」より、「何に誇りを持ちたいか」を問うてみる。
「もっと上を目指すべきか」より、「誰と、どう在りたいか」を探ってみる。
焦りではなく、静かな問いを。
それが、立ち直るための最も深い礎となる。
変化を受け入れる柔軟性の磨き方
年齢を重ねるほど、「変わらない自分」に安心することもある。
だが、それが柔軟性を鈍らせる。
柔軟であるとは、無防備でいることではない。
意志と誇りを持ちながら、世界の変化を受け取る器を持つことだ。
たとえば、新しい世代の働き方を否定するのではなく、
その中に「自分にはない視点」を見出す。
変化に抗うのではなく、
変化を通じて、「わたしらしさ」を更新していく。
──それが、中堅期を越えていく力だ。
同じ場所に立ち続ける“強さ”とは
「10年間、同じ会社にいる自分は、成長していないのではないか」
──そう感じる瞬間は、決して少なくない。
だが、同じ場所に立ち続けること自体が、“強さ”になることもある。
それは、慣れや惰性ではない。
その場で人を育て、視野を広げ、仕組みを変え、信頼を積み上げてきた証だ。
変わらないことの中にも、「深まり」はある。
それに気づける者だけが、**“変化しないふりをした進化”**を遂げる。
自らの歩みを、他人のものさしで測らないこと。
それもまた、10年目に学ぶべき大切な視点だ。
未来を託される存在になるために
10年目──それは、ゴールではない。
むしろ、他者から「未来を託される側」へと転換する分岐点だ。
これまでは、先輩たちに導かれ、支えられ、育てられてきた。
これからは、自分が“背を見せる側”になっていく。
そのときに必要なのは、完璧な答えではない。
誓いを宿した問いと、歩み続ける姿勢である。
自分自身の選択に、誇りを持てるか。
誰かにとって、“信じて歩ける背中”になれるか。
わたしは、そうありたいと思う。
答えを急ぐ必要はない。ただ、誓いを忘れず歩むなら──それでいい。
社会人10年目。
そこには、確かに迷いも揺らぎもあるだろう。
けれど、それは「変わる前触れ」であり、「問いの芽吹き」でもある。
答えを焦る必要はない。
ただ、自分の問いを大切にしながら、誇りとともに歩み続けていくこと。
それが、静かなる王のように──
他者の背中に、光を残す生き方なのかもしれない。