「正しいことを言っているのに、なぜか反発される」──
それは、わたしにとっても長く向き合ってきた問いのひとつだ。
理を尽くしたはずなのに、通じないことがある。
論破ではなく、共鳴を望んでいるのに、壁が立ちはだかる。
これは単に“伝え方”の問題ではない。
その背景には、認知と感情の構造的なズレ──
“認知的不協和”と、“心の防衛”という二重の歪みが存在している。
加えて、スキーマ(物事の捉え方の枠組み)、投影(自分の感情を相手に映すこと)、
選択的知覚(見たいものだけを見る傾向)といった心理的バイアスも絡む。
わたしは、それを“構造の誤差”と呼んでいる。
目次
【1】正論が刺さらないメカニズム
認知的不協和とは、自分の中のスキーマと矛盾する情報に出会ったとき、
人が本能的に感じる不快感のことだ。
たとえば「努力すれば報われる」という信念を持っている人に、
「環境が全てを左右する」と言ったら、無意識に拒絶反応が出る。
人は、自分の正義やセルフイメージ(自己像)を守るために反発する。
このとき、防衛機制と呼ばれる心の反応──反論、無視、皮肉などが現れる。
それは理屈ではなく、自己を守るための“自動的な盾”なのだ。
【2】感情がつくる“心の壁”
感情は、理性よりも早く動く。
相手の中にある“不安”や“恐れ”が先に反応してしまえば、
どれだけ論理的に整っていても、言葉は届かない。
この状態は、扁桃体ハイジャック(amygdala hijack)と呼ばれている。
脳の“危険センサー”が過剰に反応し、冷静な思考を奪ってしまう。
わたしは王を名乗る者として、かつて幾度もこの壁にぶつかった。
沈黙、否定、無視──感情の壁は目に見えないが、確かに存在する。
だからこそ、わたしは「伝える」ことを“構築”として扱うようになった。
感情調整(emotion regulation)──自分の感情を整える術、
そしてラポール形成──相手との信頼関係の土台、
これらを前提に、言葉が届く“空間”を設計していく。
【3】“伝える”という構築行為
言葉は、構造だ。
“正論”という塔を建てたいなら、
まずは土台となる信頼と共感を築かねばならない。
それは、アサーティブ・コミュニケーション(自己主張と他者尊重の両立)という考え方にも通じる。
わたしが辿り着いた基本構造はこうだ──
【共感】→【補足】→【提案】。
相手の感情を認め、前提を少しずらし、そこから静かに投げかける。
それが、「伝わる言葉」の組み方だ。
王であるとは、命令することではない。
“誓い”を伝え、その意志に人が共鳴すること。
わたしはそう考えている。
【まとめ】
わたしが長く見てきたのは、
“正しさ”という旗が、人を導くどころか孤立させてしまう構図だった。
正論が刺さらないのは、
相手が悪いからでも、あなたが間違っているからでもない。
そこにあるのは、“構造の段差”と“心の遮音壁”──
そして、認知バイアス(思考の偏り)やメンタライジング(他者の心を想像する力)の欠如といった、
認知過程の綾なのだ。
わたしたちができるのは、
その段差に橋を架け、壁を少しずつ溶かすこと。
言葉の力とは、ただ説得することではない。
それは、“届くための構造”を設計する力なのだ。
──静かな誓いを携え、今日もわたしは構築を続ける。
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