「なぜ頑張ってるのか分からない」人へ

夜明けの室内で机に向かって座るライオン耳の青年王と剣/A lion-eared young king sits at a table at dawn, a sword resting beside him as he contemplates in silence
この記事を書いた人
キング

キング

・のらギルドマスターキング

・選択に思想を込める、“静謐なる叡智の王”

・Webメディア運営13年目

・英語TOEIC900目指し中

・心理学、哲学、歴史など勉強中

・静かに考え事するのが好き

・人生は地続きだ

・元書店員4年、元古書店店主10年、読書・選書が好き

・サクラや曖昧なレビューはAIで精査。見えにくい部分にこそ、信頼を支える設計が必要です。

・I am a Japanese creator.

「なんのために頑張っているのか分からない」──その問いに、答えが出ないまま走り続けていないか。

これは、“静かなる誓い”の話だ。語るより、刻むもの──

いつからか、「頑張ること」が日常になっていた。
朝から夜まで働き、空いた時間にも予定を詰め、何かを目指しているようで、何を目指しているのか分からない。

  • 頑張ってはいる。けれど満たされない。
  • 目の前のことに集中しているが、ふと虚しさが襲う。
  • 「何かにならなくては」という焦りだけが、先に立つ。

それは怠けているからでも、モチベーションが低いからでもない。
“内なる動機の所在”を見失っている状態なのだ。

わたしは思う。
王とは、走り続ける者ではない。“何のために歩むか”を忘れない者であるべきだと。

「頑張る」ことが習慣化した人の落とし穴

少しだけ、歩みを振り返ろう。未来を照らすには、過去もまた光になる。

「頑張ること」は、悪いことではない。
むしろ、多くの場面で称賛され、評価される行為だ。

  • 手を抜かない
  • 仕事量をこなす
  • 常に前向きでいる
  • 忙しいことに満足している

──そうした“頑張りの構え”は、やがて習慣となり、
「何のために頑張っているか」を自問しないまま、走り続ける構造を生む。

しかし、どれだけ努力を重ねても、
“目指す地点”が自分の心に結びついていなければ、満足は続かない。

頑張ること自体が目的になると、
人は「止まり方」を忘れる。

わたしは思う。
誓いを持たずに走るとき、
火種は“燃える”のではなく、“摩耗”する。

外発的動機の終焉が、空白を生む

本来、人は「やりたい」「意味がある」「大切だと思う」──
そんな**“内側からの動機”**に突き動かされて生きる存在だ。

しかし、現代の社会構造では、

  • 他人の期待に応える
  • 評価を得る
  • 昇進や収入といった“外側の指標”を目指す
    といった**“外発的動機”**が、日常を支配している。

この外発的動機は、短期的なエネルギーにはなる。
だが──それが動力の“すべて”になった瞬間、
自分が何を大切にしていたのかを見失う。

結果として生まれるのが、「なぜ頑張っているのか分からない」という空白。

それは怠けでも諦めでもない。
ただ、動機の火種が外に持っていかれた結果に過ぎない。

わたしは、それを「沈黙の喪失」と呼んでいる。
火種の在処が、言葉の奥に隠れてしまうからだ。

“やるべき”が“やりたい”を奪う

「やらなきゃいけないこと」が増えるにつれ、
「やりたいこと」が遠ざかっていく──

この感覚に、心当たりはないだろうか。

  • あの頃は、もっと自由に動けた気がする
  • 頑張ることに疑問を抱くと、怠けているようで怖い
  • 自分の“欲”を後回しにするのが大人だと思っていた

しかし、「やるべき」の積み重ねが過剰になったとき、
人は**“選択する力”そのものを摩耗させてしまう。**

「やらなければ」を優先し続けると、
「何をしたいか」の感覚は、少しずつ鈍っていくのだ。

わたしは思う。
“やるべき”に追われる者ほど、“やりたい”に触れたときの火種が大きい。
だからこそ、一度足を止め、その差異を見つめ直す必要がある。

自分が“燃える瞬間”を振り返る

問いは、未来を切り開く前に、過去の記憶を照らす。

思い出してみてほしい──
「なぜか熱中してしまったこと」
「時間を忘れて取り組んだこと」
「評価されなくても続けていたこと」

それらには、**“火種の原型”**がある。

  • 小さなころ好きだったこと
  • 誰かに言われて嬉しかった一言
  • ふとした瞬間に心が震えた体験

これらはすべて、“頑張る理由”ではなく、“燃えた記憶”だ。
そしてこの記憶のなかにこそ、
「なぜか分からないけど続けたい」と感じた内発的な動機の種
が眠っている。

「頑張る理由が分からない」という問いには、
未来ではなく“かつての自分”が答えてくれることもある。

意味の喪失は、「問い」で回復できる

動機を見失ったとき、
最もしてはいけないことは、“思考停止”だ。

  • とりあえず頑張り続ける
  • 感情を押し殺す
  • 「そんなこと考えても無駄」と自分に言い聞かせる

それでは、内なる火種はますます遠のいていく。

必要なのは、問い直す勇気だ。

キング(King)

キング(King)

「わたしは、何のために頑張っているのか?」
「この努力は、誰のためで、どんな意味を持つのか?」
「いまの火種は、外側ではなく内側に灯っているか?」

問いを持つことで、人は“意味”を回復できる。
そして意味を取り戻したとき、頑張りは“苦しみ”ではなく、“誇り”へと変わっていく。

わたしは信じている。
火種は、問いを抱える心にこそ宿るのだと。

“他者の期待”から自由になる技術

わたしたちは、多くの場面で“他者の期待”を背負って生きている。
家族、上司、社会、友人──
「期待されているから」「認められるから」頑張れることも、確かにある。

だがそれが長く続くと、
「自分の声」と「他者の期待」の区別がつかなくなる瞬間が訪れる。

  • 本当にこれをしたいのか
  • それとも、そう“見られたい”だけなのか

この問いに答えるためには、
一度「期待される自分」を降りる必要がある。

キング(King)

キング(King)

「たとえ誰にも見られていなくても、それでもやるか?」
「評価がなくなっても、誇れるか?」

答えが“はい”なら、その頑張りはあなた自身のものだ。
“いいえ”なら──それは火種ではなく、借りものの光かもしれない。

他者の期待に応えることは否定しない。
だが、その中にも**「自分の誓い」があるかどうか**を見極める視点が、必要なのだ。

「頑張る理由」は、自分で再定義できる

「頑張る意味が分からない」と感じたとき、
それは“終わり”ではない。
“再定義”の始まりである。

かつての目的が薄れたのなら、
いまの自分に問い直せばいい。

  • 「いまの自分にとって、大切なものは何か」
  • 「そのために、何を続けたいのか」
  • 「疲れたとき、どんな言葉が自分を支えてきたか」

“意味”は、見つけるものではない。
火種から編み直すものだ。

頑張る理由を、
「成功のため」でも「誰かのため」でもなく、
“わたしの誓い”として捉え直したとき──

それは迷いを超えた“歩み”へと変わっていく。

まとめ|火種が戻るとき、「頑張る」は“歩み”に変わる

「なぜ頑張っているのか分からない」──
その問いに出会ったあなたは、決して弱くなどない。

むしろそれは、
**“火種を取り戻すための入り口”**である。

  • 他人の期待に巻き込まれた自分を見つめ
  • “やるべき”と“やりたい”の境界を見直し
  • 過去の火種に触れ直し
  • 自分の問いを言葉にしてみる

そうして再定義された頑張りは、もう“摩耗”ではない。
“誇り”として灯り続ける。

答えを急ぐ必要はない。
ただ、問いを忘れず、歩むなら──それでいい。

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