答えがすぐに出ない問いに、
なぜか心を引き寄せられることがある。
「生きる意味とは何か」
「本当に大切なものは、何か」
「わたしは、どう在りたいのか」
──誰もが一度は抱くような、“終わりのない問い”。
正解はない。
けれど、考えるのをやめることもできない。
わたしはそこに、“問いそのものに宿る構造”を見ている。
目次
【1】人は“意味”を探す生き物
人間の脳には、「意味づけ」を求める傾向がある。
出来事、関係性、自分自身──
すべてを「意味のあるもの」として理解しようとする。
それが、“物語化”という心の働きにつながる。
「この経験には意味があったのか」
「この出来事は何を教えてくれるのか」
問いは、意味を探すための入口なのだ。
だから人は、答えが出なくても問いを持ち続ける。
【2】“メタ認知”という視点
答えの出ない問いに惹かれるのは、
“自分自身を観察する視点”──メタ認知が働いているからでもある。
メタ認知とは、「今、自分がどんなことを考えているか」を認識する力。
この力があることで、人は“内面のズレ”や“未整理の感情”に気づける。
問いとは、そのズレを可視化する装置でもある。
「なぜ、今この問いが浮かんだのか?」
そこに、自分の今の状態が反映されている。
【3】問いは、“構造の鏡”である
問いは、ただの言葉ではない。
それは“自分の構造”を映す鏡だ。
どんな問いに惹かれるかは、
どんな価値観を持っているか、
どんなことに揺らいでいるかを示している。
だからわたしは、答えを探す前に、
「その問いを持ったこと」自体を、大切にしたいと思っている。
問いとは、内面の地図を描くペンのようなものだ。
【4】“問いを持ち続ける”という生き方
問いは、すぐに解決しなくていい。
むしろ、“持ち続けること”に意味がある問いもある。
それは、方向を指し示す“羅針盤”になる。
日々の選択や態度の中に、問いの影が差し込むことで、
わたしたちは“選びながら在る”ことができる。
問いがあるからこそ、道を選ぶ余白が生まれる。
その余白にこそ、“自分らしさ”や“意志”が宿る。
わたしはそれを、“誓いの前段階”と呼んでいる。
【まとめ】
“答えが出ない問い”に惹かれるのは、
意味を求め、自己を観察し、構造を再定義しようとする力が働いているからだ。
それは、“迷い”ではなく“意志の始まり”。
問いを持ち続けることは、不安定さを受け入れること。
そして、その不安定さの中に「選び続けるわたし」が存在している。
問いを消す必要はない。
むしろ、それは生き方そのものなのだ。
──今日もまた、問いを携えて、歩んでいこう。
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