名刺の肩書きに、ようやく重みが宿り始めた。
リーダー、マネージャー、課長──
若い頃に憧れたそのポジションを、自分が背負う日が来た。
けれど、胸の内には小さな違和感がある。
「この肩書きの自分は、本当の自分なのか?」
「期待に応えているだけで、自分自身が置いてきぼりになっていないか?」
その疑問を、見ないふりをすることもできる。
だが、わたしは思う。
肩書きに合わせて生きるのではなく、自分の誇りに沿って立つべきだと。
目次
「肩書き」によって見えなくなる本質
肩書きは、役割を与えてくれる。
責任を明確にし、他者との関係性を整理し、組織の中での自分の立ち位置を示してくれる。
だが同時に──
肩書きは、見えない“壁”にもなる。
たとえば、自分の弱さや迷いを見せられなくなる。
本音よりも建前で会話することが増える。
「こうあるべき自分」を演じ続けて、心が摩耗していく。
本来、肩書きは「行動」の結果にすぎない。
それなのに、肩書きが“自分そのもの”になってしまうとき、
誇りではなく、重さとしてのしかかってくるのだ。
「名刺の自分」との距離を測る
わたしは、“肩書きの自分”を否定したいわけではない。
むしろ、その責任を背負い、全うしようとする姿勢には、深い敬意がある。
だが、名刺に書かれた肩書きと、自分の本質的な価値が完全に一致するわけではない。
名刺の中の自分は、社会との接点の一部にすぎない。
それは「役」だ。
では、「わたし」という存在は、どこにある?
その距離感を意識するだけで、
不思議と肩の力が抜け、呼吸が深くなる。
──名刺に頼らずとも、
わたしは、わたしとして立っていい。
「役職=人格」ではないと気づく瞬間
ある時ふと、気づくことがある。
周囲の人が自分を「○○部長」としか呼ばなくなったことに。
それは信頼や期待の証かもしれない。
だが同時に、役職そのものと“人格”が結びついてしまう危うさでもある。
部下や同僚は、“肩書きの自分”に話してくる。
「人としての自分」ではなく、「役割としての自分」しか見られていない──
そう感じたとき、心の奥にひとつ、誇りの灯が揺らぐ。
役職を果たすことは大切だ。
だが、肩書きだけが自分の存在意義になってしまえば、誇りは空洞になる。
「役割」と「存在」は別物である
わたしは、ひとつの信念を持っている。
「役割」と「存在」は、明確に切り分けるべきだということだ。
役割は変わる。
部署が変わり、異動があり、時には役職を手放すこともある。
だが、「自分という存在」──
それは、肩書きが消えてもなお、残るべきものだ。
本当の誇りとは、何者であっても変わらず持ち続けられるもの。
その在り方を守るために、
肩書きに縛られない視座が必要なのだ。
「自由」には「責任」がついてくる
「肩書きなんていらない」と言うのは、たやすい。
だが、肩書きを手放した先にあるのは、“自由”ではなく、“責任”だ。
守ってくれる肩書きがなくなれば、
誰のせいにもできない。
すべての行動に、自分自身が意味を与える必要がある。
それでも──
その責任を引き受ける覚悟がある者だけが、
本当の意味で「自分の背中」を信じて生きていける。
だからこそ、わたしは思う。
肩書きを脱ぎ捨てるのではなく、
それを越えて「自分という旗」を立てることが、静かなる勇気なのだと。
「立場」に縛られずに誇りを持つ方法
では──
肩書きに頼らずに、どうすれば誇りを持って働けるのか?
それは、「振る舞い」と「姿勢」にある。
どの立場であっても、自分の言葉で語り、責任を引き受け、誰かにとっての灯であろうとする。
肩書きではなく、生き様で信頼される人間になる。
それは時間がかかるし、効率もよくない。
けれど、そこにこそ
「名刺のない誇り」が宿るのだと、わたしは信じている。
「姿勢」で語る人は、肩書きを超える
本当に信頼されている人を思い出してみてほしい。
その人の肩書きが何であれ、“在り方”そのものが、尊敬されていたはずだ。
言葉選び。責任の取り方。人の扱い方。
そういった“姿勢”の積み重ねが、名刺以上の重みとなる。
そしてそれは、誰にでもできる。
新入社員であろうと、社長であろうと──
誇りをもって振る舞う者には、肩書きを超えた風格が宿る。
だからこそ、わたしは思う。
名刺ではなく、
歩き方で語れる人間になりたいと。
肩書きの“外”にあるリーダーシップ
リーダーとは、命令する者ではない。
組織図で上に立つ者でもない。
背中を見せられる者のことを、リーダーと呼ぶのだ。
その背中は、肩書きでは作れない。
日々の選択、誠実な問いかけ、逃げずに向き合う姿勢──
それらの“静かな積み重ね”が、信頼を形にしていく。
肩書きを持っていてもいなくても、
誰かがあなたの背中を見ている。
だからこそ、
「肩書きの外」でこそ試される誇りがある。
答えを急ぐ必要はない。ただ、誓いを忘れず歩むなら──それでいい。
肩書きに囚われたくない。
でも、手放すのは怖い。
──その矛盾を抱えているあなたは、
きっと、次の段階に進もうとしているのだろう。
「名刺の自分」と「本当の自分」。
その重なりを少しずつ取り戻すことで、
名刺がなくなっても揺るがない“軸”が育っていく。
わたしにとっての誇りとは、
肩書きがなくても歩ける自分であること。
それは、静かに立つ者だけが知る、静謐な自由のかたちだ。