目次
「また感情で動いてしまった」──その後悔を、繰り返さないために。
これは、“静かなる誓い”の話だ。語るより、刻むもの──
頭ではわかっていた。
冷静に考えれば、他の選択肢もあった。
でも──そのときは、どうしても「抑えられなかった」。
怒り、焦り、不安、寂しさ。
心を揺さぶる感情の波に飲まれて、衝動的に行動してしまった経験は、誰にでもある。
だが、その直後にやってくる後悔や自己嫌悪の深さに、
何度も「オレは何やってるんだ……」とつぶやいたことがある人も、多いはずだ。
わたしは思う。
王とは、感情を否定する者ではない。“感情に飲まれない在り方”を、内に宿す者であると。
「感情優位タイプ」の特徴と落とし穴
少しだけ、歩みを振り返ろう。未来を照らすには、過去もまた光になる。
感情で動いてしまう人には、共通するパターンがある。
✔ 言われた一言で、瞬間的に行動や態度が変わる
✔ 「なんとなく嫌な感じ」で大事な話を後回しにする
✔ 気持ちが落ち着いてから、ようやく冷静に判断できる
✔ 論理ではなく、“気分”が判断を左右していると自覚している
こうした人を、短絡的だとか、未熟だと片付けるのは簡単だ。
だがわたしは、それが**“繊細さの裏返し”**であることを知っている。
感情で動く人は、周囲の空気や他人の機微を、鋭く察知する。
それゆえに、心の中では絶えず反応し続けており、
その反応が爆発的な“行動”として噴き出す。
つまり、感じやすさゆえの衝動なのだ。
この特性は、磨けば“共感力”や“直感的リーダーシップ”として光る。
だが制御されていないと、思わぬタイミングで信頼や機会を失うことにもつながる。
だからこそ、必要なのは──否定ではなく、構造の理解と再設計である。
感情で動く人は、なぜ失敗しやすいのか
では、なぜ感情に任せた行動は“失敗しやすい”のか。
答えは明快で、判断のタイミングと構造がズレているからだ。
人の感情は、出来事に対して瞬時に反応する。
そのスピードは、論理や全体像の把握よりも速い。
たとえば──
- 指摘された瞬間、「バカにされた」と感じて反論する
- 怒りが頂点に達したとき、LINEを即送ってしまう
- 落ち込みすぎて、重要な判断を放棄する
こうした行動には、状況全体の把握や、目的の再確認がほとんど入っていない。
つまり、“今この感情にどう反応するか”だけが、選択の軸になっている。
だが人生の判断においては、
“感情の温度”だけでは測れないものがある。
- 数日後の自分がどう感じるか
- それが関係性や信頼にどう影響するか
- 一時の発散が何を壊すか
こうした視座が一切ない状態での選択は、
冷静に見れば「そりゃ後悔するよね」という結果になりやすい。
だからこそ、感情優位タイプの人に必要なのは──
**「行動に移る前の“一呼吸”」**を、自分の中に作ることだ。
衝動と行動の間に、ほんの少し“静かな間”を置く。
それだけで、失敗の大半は防げる。
行動と思考を分断しない“接続点”をつくる
感情で動いてしまう人に多いのは、
「思考してから行動する」のではなく、
**「反射的に行動し、その後で考える」**という順番になっていることだ。
つまり、思考と行動の間に“橋”がない。
その橋をつくるには、ひとつの問いを習慣にすることが有効だ。

キング(King)
「これは本当に、わたしの望む結果につながる行動か?」
この問いは、感情を否定しない。
ただ、“行動の先”を想像させる。
その一瞬が、感情と行動の間に**「意図」という橋**をかける。
怒りの感情に湧いたとしても、
「それを言ったあと、関係はどうなるか?」と問うだけで、
行動は変わり始める。
わたしは思う。
橋のない国に、文明は根づかない。
同じように、橋のない内面に、誇りある選択は生まれにくい。
感情のピークで“静止する”技術
では、実際に感情がピークに達したとき、どうすればいいのか?
その場で深呼吸すれば落ち着ける──そんな単純な話ではない。
必要なのは、「身体のルール」を使うことだ。
感情が激しく揺れるとき、人は無意識に呼吸が浅くなり、
視野が狭くなり、“行動の即時化”が起こる。
これを逆手に取って、“意図的に動かない”時間を持つ。
・目を閉じる
・拳を握る/開くを繰り返す
・その場から少しだけ視点をズラす(姿勢を変える、空を見上げる、など)
これらは「反応を止める」のではなく、
“反応の選択権を自分に戻す”ための儀式である。
怒りは悪ではない。
焦りも、悲しみも、正当な感情だ。
だが、「その感情のまま動く」か「一度受け止めてから動く」かで、
未来はまったく違うものになる。
感情の炎が灯ったら、その火をどう扱うか。
それが、王たる者の内なる構えなのだと、わたしは思う。
衝動ではなく、“意思”で選ぶ方法
感情で動くというのは、
その場の衝動や反射で選択が決まってしまう状態を指す。
では、それを“意思”で選ぶにはどうすればいいか?
そのカギは──**“価値観の言語化”**にある。
たとえば、あなたが「人を大切にする」という価値観を持っているとする。
怒りで相手に強く言い返したくなったとき、
「この言葉は、“大切にする”に沿っているか?」と問い直す。
こうして、“軸”に照らして判断することが、意思の行使だ。
感情があるから人間だ。
だが、“選ぶ力”を持つからこそ、人は誇りある存在になれる。
わたし自身もまた、誓いを立てる前は、
いくつもの衝動と後悔を重ねてきた。
そのたびに、問いを拾い集め、自分の輪郭を描き直してきた。
だからこそ断言できる。
衝動を否定するのではなく、意思で“昇華”する方法がある。
感情を否定せず、使いこなす思考術
感情で動く人がよく言われる言葉がある。
「もっと論理的に考えろ」「感情的になるな」──だが、それは正確ではない。
感情とは、本能や防衛反応の延長にある、身体の言語だ。
そこには、たしかに生きる上での“警報”が含まれている。
・怒りは「境界を越えられた」サイン
・悲しみは「失った価値」への反応
・不安は「未来への準備不足」の知らせ
つまり感情とは、**思考に必要な“燃料”**でもある。
使いこなすには、まずは「見つめる」こと。
その感情の下に、どんな価値観・恐れ・願いがあるのかを掘る。
そのあとで、「わたしはどうしたいか?」と静かに問う。
感情を否定すれば、自分の声を封じることになる。
だが感情に飲まれれば、自分の意思を手放すことになる。
感情は沈黙ではなく、“構造”で扱うものだ。
論理との“共存”で生き方は変わる
感情と論理、どちらが正しいか──
そういう二元論では、わたしたちは前に進めない。
重要なのは、感情と論理の接点に「問い」を置くことだ。
- 怒りを感じたとき、「何が傷ついたのか?」と問う
- 焦りを覚えたとき、「何を急ぎすぎているのか?」と見直す
- 悲しみに沈むとき、「何を手放せていないのか?」と語りかける
こうした問いは、感情に流されることなく、
論理のフィルターを通じて“自分の意思”を見つけ出すための道標となる。
そしてこの道標が、やがて“誇りの選択”につながっていく。
わたしは思う。
王とは、強くあるために感情を捨てるのではない。
感情に向き合い、内なる火を統べる者であるべきなのだ。
まとめ|感情に振り回されず、“火種”として使うために

人は感情の生き物だ。
だからこそ、その力をどう扱うかで、人生の質は大きく変わる。
・衝動ではなく、意思で選ぶ
・感情を否定せず、構造で見つめる
・“問い”を持ち、行動の意味を育てる
この三つを持てたとき、
感情は失敗の原因ではなく、行動を照らす灯火となる。
わたしもまた、かつては何度も怒りに、焦りに、迷いに飲まれてきた。
だが今は、問いを持つことで、それらすべてが“誓いの火種”となっている。
答えを急ぐ必要はない。
ただ、感情に飲まれず歩むなら──それでいい。