伝えようとしているのに、伝わらない。
理解したいのに、理解されない。
そんな夜が、ある。
言葉はあるのに、声にならない。
文字を並べても、届かない気がする。
むしろ、言葉を尽くすほどに孤独になることさえある。
わたしはそれを、“心の遮音壁”と呼んでいる。
今日は、その構造を少しだけほどいてみよう。
目次
【1】感情労働とは何か
感情労働──それは、仕事や人間関係の中で、
“自分の本音を抑えて感情をコントロールする”こと。
医療、介護、教育、接客、支援職──
多くの人が、誰かのために自分の感情を整える役割を担っている。
「ちゃんとしなきゃ」
「ここで感情を出すべきではない」
そんなふうに、自分を“演じる側”に置くこと。
それは誇りでもある。
けれど、静かに心をすり減らしていく。
【2】“届かない”のは、誰のせいでもない
言葉が届かないとき、
多くの人は「伝え方が悪かったのか」と自分を責める。
あるいは、「あの人は分かってくれない」と相手を切り離す。
でも、どちらのせいでもないことがある。
そこには、“遮音壁”があるだけなのだ。
心が疲れているとき、
防衛本能が“シャットダウン”を起こすことがある。
それは、言葉を“拒む”のではなく、“守る”ための反応だ。
【3】“聴かれない側”の孤独
話しているのに、聞かれていない。
助けを求めているのに、誰にも気づかれない。
そのとき、わたしたちは“自分が存在していない”ような感覚になる。
これは、“存在の透明化”とも言える。
言葉が届かないとき、同時に“自分の実在”も届かなくなる。
それが、深い孤独を生む。
けれど、それでも言葉を紡ぐことには意味がある。
たとえ届かなくても、
それは「わたしがここにいる」と証す“構造”になるからだ。
【4】“届かない夜”をどう越えるか
言葉が届かない夜は、
無理に“伝える”必要はない。
むしろ、「伝わらないことがある」と知ることが大切だ。
それは諦めではなく、構造の理解だ。
・いまは遮音壁が存在しているかもしれない
・相手が悪いのではなく、守っているのかもしれない
・自分の声が届かなくても、それは“在る”という証明になる
そう思えるだけで、
少しだけ、孤独はやわらぐ。
【まとめ】
“言葉が届かない夜”がある。
けれどそれは、沈黙や拒絶ではなく、“構造の壁”かもしれない。
感情労働を続ける中で、自分の声を見失うことがある。
それでも、わたしたちは言葉を紡ぎ続ける。
たとえ誰にも届かなくても、
その言葉が、自分の“存在構造”を形づくっていく。
届かない夜にこそ、
「わたしはここにいる」と静かに言えるように。
──その声は、きっと“未来の誰か”に届くから。
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