理由はよくわからない。
だけど、どこか落ち着かない。
胸の奥がざわついて、呼吸が浅くなる。
「大丈夫」と思いたいのに、どこかで「何かが足りない」と感じてしまう。
その正体は、はっきりした“恐怖”ではない。
もっと曖昧で、ぼんやりと広がる“なんとなく不安”。
この“かたちのない不安”こそ、現代を生きる多くの人が抱えている問いかもしれない。
わたしはそこに、“安心”という構造の欠落を見ている。
目次
【1】不安は“警報”ではないときもある
不安というと、危険を察知する警報のように思われがちだ。
だが、“なんとなく不安”は明確な原因がない。
むしろ、「何が不安なのか分からないこと」そのものが、
人の心をより不安定にする。
この不安の構造は、“曖昧性への耐性”に関係している。
人は、先が見えない・意味がわからない状況に長くさらされると、
たとえ安全でも、心は不安を覚えるようにできている。
【2】安心は“見えない土台”でできている
わたしたちは、日々“安心”の上に生きている。
それは意識されることは少ない。
だが、たとえば「今日もちゃんと夜が来る」と思えること。
「何かあれば誰かが応えてくれる」と信じられること。
その目に見えない信頼の網が、“心の安定”を支えている。
このような基盤は、“セーフティベース(安全基地)”と呼ばれる。
幼い頃に培われるこの感覚が、大人になっても心の支えとなる。
安心とは、外から与えられるものではなく、「支えがあると知っていること」なのだ。
【3】不安は“今”ではなく“未来”にいる
“なんとなく不安”の多くは、実際の出来事ではなく、
「これから起きるかもしれない何か」に由来する。
それは、“予期不安”と呼ばれる心の作用だ。
未来の曖昧さが、不安を呼び寄せる。
たとえば、仕事の予定、人間関係の変化、体調のゆらぎ──
それ自体はまだ起こっていなくても、
その可能性が「備えなければ」と心に警戒モードを生む。
この状態が続くと、神経は過敏になり、疲れやすくなる。
つまり、“ぼんやりした不安”にも、心と身体はしっかり反応しているのだ。
【4】では、どうすればいいのか?
不安を完全に消すことはできない。
だが、“構造”を知れば、その輪郭を描くことはできる。
「不安の正体は、“今ここ”にはいない」ということ。
「安心は、“誰かがいる”という感覚に支えられている」ということ。
わたしが実践しているのは、
・身体を落ち着ける(深呼吸、温度、姿勢)
・“いま目の前”に集中する(視点の収束)
・自分の中の“支え”を確認する(信頼の記憶)
という三点だ。
構造を知ることは、回復の第一歩になる。
【まとめ】
“なんとなく不安”の正体は、
未来への曖昧な予測と、安心の基盤が揺らぐことにあった。
わたしたちは、見えない信頼の上で生きている。
その支えが少しでも感じられなくなると、
心は方向を見失い、ざわめく。
でも、それは「弱さ」ではない。
「支えを求めている」という、正常な構造の反応だ。
不安の輪郭を描き、名前を与え、構造を知ること。
そこに、“心を支える誓い”が生まれると、わたしは信じている。
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