40代という時期は、不思議な交差点だ。
体力の微細な変化に気づきはじめ、
怒りや落ち込みが以前よりも持続するようになり、
「何かがおかしい」と感じながらも、
その理由が分からず、言葉にもできない。
誰かに相談するには抵抗がある。
「更年期かもしれない」と認めることすら、
どこかで“敗北”のように感じてしまう──
だが、わたしは思う。
それは敗北ではない。むしろ“再構築の合図”だ。
目次
「不調」は“変化”のサインである
多くの人が、「不調=悪いこと」と捉えがちだ。
たしかに、心身の不具合はつらい。
だが、不調とは、身体と心が「変わり目にある」と知らせる“予兆”でもある。
朝起きるのがしんどくなった。
集中力が長く続かない。
些細なことにイライラする。
──これらは、怠けでも劣化でもない。
新しいフェーズへ移行しようとする身体の“揺れ”なのだ。
この揺れを否定せず、静かに見つめること。
それが、次の誇りを宿す準備になる。
「更年期=終わり」ではなく「再構築期」
「更年期」と聞くと、多くの人が“衰え”や“終わり”を連想する。
だが──それは誤解だ。
更年期とは、これまでの身体的リズムが一度“再編”される時期である。
たとえるなら、
青年期という前章を閉じ、大人としての第2章が始まる節目。
つまり、それは「終わり」ではなく、
“再構築のための通過点”なのだ。
一時的にパフォーマンスが落ちることもあるだろう。
けれど、それは未来を取り戻すための“調律”にすぎない。
わたしは、この時期にこそ、
新しい誇りを育てる視座が必要だと思っている。
ホルモンと意欲──科学で自分を知る
意欲が湧かない。
やるべきことは分かっているのに、どうにも心と身体が噛み合わない──
それは、「気の持ちよう」ではなく、
ホルモンの影響で起きる、れっきとした変化かもしれない。
男性ホルモンのテストステロンは、意欲・集中力・挑戦心と深く結びついている。
40代以降、それが徐々に減少していくのは自然なことだ。
科学を知れば、責めなくてすむ。
「自分が弱くなった」のではない。
変化を迎えているだけなのだ。
この理解だけで、心はふっと軽くなる。
理屈で自分を助けていい。
それは、誇りを守るための知性なのだから。
「怠け」ではなく「整える」べき時期
パフォーマンスが落ちたとき、
多くの人が「もっと頑張らねば」と自分に鞭を打つ。
けれど、それは逆効果だ。
追い込むほど、身体はさらに防御反応を強めてしまう。
この時期に必要なのは、**“回復に向けた整え”**だ。
睡眠の質、食事のバランス、適度な運動、そして心の余白。
それは決して怠けではない。
むしろ、未来の自分に誠実であろうとする、
戦略的な立て直しなのだ。
わたしは思う。
誇りとは、立ち上がる前に「一度、整えることを許せる強さ」でもある。
「回復力」に誇りを持つ
かつては、「無理がきく」ことに誇りを持っていた。
徹夜しても乗り切れた。
プレッシャーがかかったときこそ燃えた。
だが、今は違う。
同じように走れば、反動が大きく返ってくる。
それに気づいたとき、自分に少し失望してしまうかもしれない。
でも──
誇るべきは、“無理をして走れる力”ではなく、“回復できる柔軟さ”だ。
変化を受け入れ、休み、立て直す。
それは、成熟した者にしかできない選択だ。
「以前の自分に戻る」のではなく、
“今の自分にふさわしい在り方”を築くこと。
そこに、静かで確かな誇りがある。
「休息」は戦略になる
かつて、休むことは“怠惰”だと思っていた。
だが今、わたしは思う。
「どのように休むか」こそが、最も重要な戦略のひとつだと。
無理をすれば、代償を支払う。
では、どこで緩め、どこで力を蓄えるか。
それを設計できる者こそが、長く戦える。
休息とは、撤退ではない。
未来のための再配置。
自分にとって必要な静けさを、
恥じることなく受け入れること。
それが、成熟の証であり──
“静かな王道”の始まりなのだと、わたしは思う。
「内なる再設計図」と向き合う
人生には節目がある。
それは、外から与えられるものではなく、
**内側から“静かに書き換えられていくもの”**だ。
更年期という時期は、
これまでの“戦い方”を手放し、
“新しい設計図”を描き直すタイミングでもある。
どこに力を注ぎ、どこを緩め、
何を大切にし、何を手放すのか。
それを自分自身の手で描いていくこと──
それが、内なる“再設計”の本質だ。
他者に見せるものではない。
誇りを取り戻すための、個人的な調律作業だと、わたしは思う。
「静かな回復」から“次の自分”へ
回復とは、勢いよく立ち上がることではない。
むしろ、ゆっくりと呼吸を取り戻しながら、
「次の自分」にふさわしい姿勢を整えていく行為だ。
若い頃のように、もう無理は効かない。
けれど、だからこそ、
「何を守り、何を譲らないか」が、より明確になる。
静かに回復しながら、
内側に積み重なってきた思考や経験を
“次の形”として外に表現していく。
それが──
「第2章の誇り」になるのだと、わたしは信じている。
調子が出ない日が続くと、
「このまま終わっていくのか」と、不安になることもある。
だが、それは終わりではない。
それは、静かに再起動するための、準備期間なのだ。
無理をしなくてもいい。
焦らなくてもいい。
だが、問いだけは手放さないでほしい。
「自分にとっての誇りとは何か」
「これから、どんな姿でありたいのか」
その問いを持ち続ける限り、
人生は何度でも、再構築できる。
わたしは、そう信じている。