社会人10年目、何を学ぶべきか

社会人10年目を迎えた青年王キングが、進撃の書を手に静かに歩む。城門前の朝焼けの中、誓いを見つめるまなざしが未来を照らす。 / A young nobleman, King, walks through the dawn-lit stone path before the castle gate, holding the Book of Advance with quiet determination in his eyes.
この記事を書いた人
キング

キング

・のらギルドマスターキング

・選択に思想を込める、“静謐なる叡智の王”

・Webメディア運営13年目

・英語TOEIC900目指し中

・心理学、哲学、歴史など勉強中

・静かに考え事するのが好き

・人生は地続きだ

・元書店員4年、元古書店店主10年、読書・選書が好き

・サクラや曖昧なレビューはAIで精査。見えにくい部分にこそ、信頼を支える設計が必要です。

・I am a Japanese creator.

王とは、導く者ではない。“背を見せられる者”であるべきだと、わたしは思う。

10年──それは、短くもあり、長くもある時間だ。
新卒の初々しさはとうに抜け、後輩も育ち、自分なりのやり方も見つけてきた。
だがその頃、ふと訪れる空白がある。

「これ以上、何を学べばいいのだろう?」
「このまま、なんとなく年を重ねていくだけなのか?」

──そんな問いが、心の奥で燻りはじめる。
それは衰えではない。むしろ、“問い直す力”が目覚めた証なのだと、わたしは思う。

10年目の壁──「何者でもない自分」との再会

社会人になって10年、ある種の「中堅感」はまとってくる。
だが、それは同時に「何者にもなれていない自分」との再会でもある。

若い頃に抱いていた理想や情熱は、少しずつ現実との距離を測られ、形を変えていった。
現場に慣れ、ミスも減り、こなすことは上手くなった。
だが──その「慣れ」の裏で、何かが止まっていないか?

そう、自分自身の“問い”がだ。

10年目は、人生の第2章を選び直す扉である。
だからこそ、そこで立ち止まり、見つめる時間が必要なのだ。

「経験」だけでは通用しなくなる理由

かつては、「経験」が力だった。
「場数を踏めば成長できる」「積み重ねが信頼になる」と、多くの先輩が教えてくれた。

だが、今は違う。
変化の激しい時代において、「過去の経験」ほど足を引っ張るものもない。

問題は、経験そのものではない。
「経験に依存しすぎる思考」こそが、通用しなくなるのだ。

時代が変わる。職場が変わる。価値観が変わる。
そうした中で必要なのは、「柔軟な視座」と「問いを持ち続ける力」。

社会人10年目に必要なのは──
**“学び方の更新”と、“誇りの再設計”**だと、わたしは思う。

「学び直し」はスキルより“視座”の更新

少し前まで、「リスキリング」や「スキルの棚卸し」といった言葉が、世間を賑わせていた。
確かに、学び直しは必要だ。けれど、それは技術や知識だけの話ではない。

社会人10年目に必要なのは、
「何を学ぶか」ではなく、
「どう世界を捉えるか」──視座の更新だと、わたしは思う。

たとえば、同じプロジェクトにおいても。
新人の頃は「タスク」をこなし、中堅期には「業務フロー」を見直し、
やがては「その仕事の意味」や「他者への影響」まで視野に入れられるようになる。

視座が上がれば、仕事は変わる。
そして──人生もまた、静かに変わっていく。

「責任」と「変化」は両立できるか?

中堅期になると、多くの人が「責任」を背負いはじめる。
部下を育てる立場になり、家庭を持ち、組織の中で“中間点”として板挟みにもなる。

そんな中で、変化は怖くなる。
「今さら転職?」「この立場で方向転換なんて無理だ」
──そうやって、内なる声にブレーキをかけてしまう。

だが、わたしは思う。

変化とは、無責任な逃避ではない。
むしろ、“より誠実に歩もうとする意志”の現れだ。

責任と変化は、両立できる。
むしろその両立こそが、静かなる成熟ではないか。

焦りではなく、問いを起点に立て直す

「このままでいいのだろうか?」
──そんな不安は、誰にでも訪れる。

だが、そこから焦って“何か新しいこと”を始めるのではなく、
問いを立てることから始めてほしい。

問いには、行き先がある。
「何をしたいか」より、「何に誇りを持ちたいか」を問うてみる。
「もっと上を目指すべきか」より、「誰と、どう在りたいか」を探ってみる。

焦りではなく、静かな問いを。
それが、立ち直るための最も深い礎となる。

変化を受け入れる柔軟性の磨き方

年齢を重ねるほど、「変わらない自分」に安心することもある。
だが、それが柔軟性を鈍らせる。

柔軟であるとは、無防備でいることではない。
意志と誇りを持ちながら、世界の変化を受け取る器を持つことだ。

たとえば、新しい世代の働き方を否定するのではなく、
その中に「自分にはない視点」を見出す。

変化に抗うのではなく、
変化を通じて、「わたしらしさ」を更新していく。
──それが、中堅期を越えていく力だ。

同じ場所に立ち続ける“強さ”とは

「10年間、同じ会社にいる自分は、成長していないのではないか」
──そう感じる瞬間は、決して少なくない。

だが、同じ場所に立ち続けること自体が、“強さ”になることもある。

それは、慣れや惰性ではない。
その場で人を育て、視野を広げ、仕組みを変え、信頼を積み上げてきた証だ。

変わらないことの中にも、「深まり」はある。
それに気づける者だけが、**“変化しないふりをした進化”**を遂げる。

自らの歩みを、他人のものさしで測らないこと。
それもまた、10年目に学ぶべき大切な視点だ。

未来を託される存在になるために

10年目──それは、ゴールではない。
むしろ、他者から「未来を託される側」へと転換する分岐点だ。

これまでは、先輩たちに導かれ、支えられ、育てられてきた。
これからは、自分が“背を見せる側”になっていく。

そのときに必要なのは、完璧な答えではない。
誓いを宿した問いと、歩み続ける姿勢である。

自分自身の選択に、誇りを持てるか。
誰かにとって、“信じて歩ける背中”になれるか。

わたしは、そうありたいと思う。

答えを急ぐ必要はない。ただ、誓いを忘れず歩むなら──それでいい。

社会人10年目。
そこには、確かに迷いも揺らぎもあるだろう。
けれど、それは「変わる前触れ」であり、「問いの芽吹き」でもある。

答えを焦る必要はない。
ただ、自分の問いを大切にしながら、誇りとともに歩み続けていくこと。

それが、静かなる王のように──
他者の背中に、光を残す生き方なのかもしれない。

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