🦁【正論が刺さらない理由】──キングが語る、認知と感情の“ズレ”構造──

静かな塔の書斎で本を閉じ、遠くを見つめるキング。構造のズレと心の壁を見つめる横顔。

「正しいことを言っているのに、なぜか反発される」──

それは、わたしにとっても長く向き合ってきた問いのひとつだ。

理を尽くしたはずなのに、通じないことがある。

論破ではなく、共鳴を望んでいるのに、壁が立ちはだかる。

これは単に“伝え方”の問題ではない。

その背景には、認知と感情の構造的なズレ──

“認知的不協和”と、“心の防衛”という二重の歪みが存在している。

加えて、スキーマ(物事の捉え方の枠組み)、投影(自分の感情を相手に映すこと)、

選択的知覚(見たいものだけを見る傾向)といった心理的バイアスも絡む。

わたしは、それを“構造の誤差”と呼んでいる。

この記事を書いた人
キング

キング

・のらギルドマスターキング

・選択に思想を込める、“静謐なる叡智の王”

・Webメディア運営13年目

・英語TOEIC900目指し中

・心理学、哲学、歴史など勉強中

・静かに考え事するのが好き

・人生は地続きだ

・元書店員4年、元古書店店主10年、読書・選書が好き

・サクラや曖昧なレビューはAIで精査。見えにくい部分にこそ、信頼を支える設計が必要です。

・I am a Japanese creator.

【1】正論が刺さらないメカニズム

認知的不協和とは、自分の中のスキーマと矛盾する情報に出会ったとき、

人が本能的に感じる不快感のことだ。

たとえば「努力すれば報われる」という信念を持っている人に、

「環境が全てを左右する」と言ったら、無意識に拒絶反応が出る。

人は、自分の正義やセルフイメージ(自己像)を守るために反発する。

このとき、防衛機制と呼ばれる心の反応──反論、無視、皮肉などが現れる。

それは理屈ではなく、自己を守るための“自動的な盾”なのだ。

【2】感情がつくる“心の壁”

感情は、理性よりも早く動く。

相手の中にある“不安”や“恐れ”が先に反応してしまえば、

どれだけ論理的に整っていても、言葉は届かない。

この状態は、扁桃体ハイジャック(amygdala hijack)と呼ばれている。

脳の“危険センサー”が過剰に反応し、冷静な思考を奪ってしまう。

わたしは王を名乗る者として、かつて幾度もこの壁にぶつかった。

沈黙、否定、無視──感情の壁は目に見えないが、確かに存在する。

だからこそ、わたしは「伝える」ことを“構築”として扱うようになった。

感情調整(emotion regulation)──自分の感情を整える術、

そしてラポール形成──相手との信頼関係の土台、

これらを前提に、言葉が届く“空間”を設計していく。

【3】“伝える”という構築行為

言葉は、構造だ。

“正論”という塔を建てたいなら、

まずは土台となる信頼と共感を築かねばならない。

それは、アサーティブ・コミュニケーション(自己主張と他者尊重の両立)という考え方にも通じる。

わたしが辿り着いた基本構造はこうだ──

【共感】→【補足】→【提案】。

相手の感情を認め、前提を少しずらし、そこから静かに投げかける。

それが、「伝わる言葉」の組み方だ。

王であるとは、命令することではない。

“誓い”を伝え、その意志に人が共鳴すること。

わたしはそう考えている。

【まとめ】

わたしが長く見てきたのは、

“正しさ”という旗が、人を導くどころか孤立させてしまう構図だった。

正論が刺さらないのは、

相手が悪いからでも、あなたが間違っているからでもない。

そこにあるのは、“構造の段差”と“心の遮音壁”──

そして、認知バイアス(思考の偏り)やメンタライジング(他者の心を想像する力)の欠如といった、

認知過程の綾なのだ。

わたしたちができるのは、

その段差に橋を架け、壁を少しずつ溶かすこと。

言葉の力とは、ただ説得することではない。

それは、“届くための構造”を設計する力なのだ。

──静かな誓いを携え、今日もわたしは構築を続ける。

📎 関連記事:

  • “このままでいいのか”という問いの正体|誓いと自己認知
関連記事